MASTERキートンのMASTERってなんだろう

 キートンの単行本が全巻揃ってるっぽい図書館で借りて、ほとんどキートンを読んでしまった。そこで私の頭に浮かんだのは、「MASTERキートンのMASTER」って何のマスターだろう、ということだった。
 SASの教官だからマスター? でもそれじゃ形而下的すぎる。プロフェッサーにはなれないからマスターか? ちょっと違うかも。もしかして人生の達人という意味でのマスターなのかもしれない。本人はいつだったか「人生の半分来たけど、全然達人になれてない」っておっしゃってるけど…。結局何のマスターなのか?
 私としては自分なりの答えを見つけたもの、という意味でマスターなのかもしれないと考えたりする。キートンは自分を鍛えなおしたくて軍隊に入ったと言っているけど、軍隊では答えは得られなかった。多分最終巻のジェコバ村で答えを見つけたということになるのだろう。