俺ストライクウィッチーズ設定−ウィッチと軍縮−

 ネウロイ大戦終結後、軍事需要の激減から、世界は必然的に大不況の波をまともに食らうことになった。そのことは、ウィッチ人員の削減という結果にも繋がった。各国は競って軍事予算を削り、だからこそ軍に雇われるウィッチも当然ながら削減されることとなったのである。これには、復興予算に税金を回さなければならないという事情も少なからず関係した。それはそれで良かった。戦争に利用される少女たちが減るのだから。
 しかし、復興は思うように進まなかった。主な理由は資金不足である。被害を受けた国は自力で資金を調達する力は無かったのでイングランド銀行ブンデスバンクに自国の債券を買ってくれることを頼んだが、そのような資金はブリタニアにも無かった。なぜならブリタニアもまた戦争資金において扶桑やリベリオンから莫大な借款を背負っており、戦後の国家予算の割合の中には大幅にその借款返済が占めていたからである。扶桑もまたリベリオンに借款があり、必然的にブリタニアに借款返済を迫るようになっていき、両国の関係が一時険悪なものになった。この世界で唯一借款をしていないのはリベリオンぐらいのものであった。それどころかリベリオンは戦争需要で大もうけをした。もっともそのリベリオンも戦後の不況には苦しんでいた。増税は論外だとして退けられた。ただでさえ戦争中国民に負担を強いてきたのだし、いま増税したらますます不景気になりかねない。まさかネウロイに賠償金を頼むわけにもいかない…。
 しかし、扶桑、ブリタニア両国の関係が悪化していく中で両国はウィッチ削減に歯止めをかけ、ある程度の定数を維持せざるを得なくなった。その緊張を受けてリベリオンもまたウィッチの定数をある程度維持、いや増員すら行うことを余儀なくされた。復興に追われる諸国もそれを傍観して見ているわけにもいかず、各自軍事力の増強を迫られた。
 ウィッチは金がかかる。それにもかかわらず、とくに扶桑、ブリタニアリベリオンのこの三国ではウィッチ部隊のある程度の拡大が行われた。
 この状態は三国の財政状態を悪化させ、国債発行数は増大し、経済の信用にはひびが入った。世界経済の信用回復、また回復出来ない場合に勃発する紛争の可能性の回避のためにリベリオン大統領トルーマンの提唱で、1949年、ワシントンにて世界軍縮会議が開かれることになった。後世ワシントンウィッチ軍縮条約と呼ばれるようになる軍縮である。